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東京高等裁判所 昭和33年(ネ)991号 判決

事実

控訴人(一審原告、敗訴)五霞村農業協同組合は請求原因として、控訴組合は茨城県猿島郡五霞村地区の農民で組織された農業協同組合であるが、鈴木明良を代理人として、昭和二十四年九月十九日、被控訴人株式会社M銀行の代理人である被控訴銀行芝支店預金係長山本三朗との間に、金額三百万円の普通預金契約を締結し、金三百万円を被控訴銀行芝支店に預け入れた。控訴組合は、同年十二月三日、代理人により被控訴銀行芝支店で、右普通預金の払戻を請求したが、同支店長鈴木達夫はその払戻を拒絶した。よつて控訴人は、被控訴銀行に対する右各普通預金契約による債権に基づき、被控訴人に対し金三百万円および控訴人が被控訴人に対し右預金の払戻を請求した日の後である昭和二十五年二月十九日から、右支払済に至るまで、商法に定められた年六分の割合による遅延損害金の支払を求めると、主張した。

被控訴人株式会社M銀行は、答弁として、山本三朗は、昭和二十四年九月五日まで被控訴銀行芝支店の預金係長をしていたが、同日限りその職を解かれているのであるから、控訴組合と被控訴銀行との間に普通預金契約が締結される筈がない。控訴組合の主張する金三百万円は、当時茨城県選出の代議士で、控訴組合の代理人であつた鈴木明良が、秘書の中山橘二、金融ブローカーの茂原一太郎、被控訴銀行芝支店預金係長の職を退いた山本三朗、当時台湾貿易を目的として設立された東和通商株式会社の社長野長瀬七郎、および右野長瀬の事業に対しあらゆる面で尽力していた横山雄偉らと互に意思を通じ、控訴組合の資金を、横山の手を通じて東和通商株式会社に対し、高利による融資をする目的で、ただ被控訴銀行の普通預金預入の形式を仮装して、鈴木明良から山本に手渡されたものであつて、実質的には、控訴組合と被控訴銀行との間に普通預金契約がされていないのであるから、控訴人の請求は失当であると、主張した。

理由

(一)  昭和二十四年九月十九月控訴組合を代表する理事(以下組合長と略称する)鈴木橘治が同組合の資金である埼玉銀行幸手支店振出、同銀行東京支店宛の金額三百万円の小切手一通を携え上京し、当時茨城県選出の代議士であつた訴外鈴木明良方で右小切手と組合長印を同人に交付したこと(その趣旨につき控訴人は被控訴銀行に対する預金を依頼した旨主張するところ、被控訴人は預金の形式を仮装して訴外東和通商株式会社に融資するよういわゆる預金貸付を依頼したものであると主張し、争のあるところである)、右鈴木明良の命を受けた秘書中山橘二が右小切手と組合長印を携え鈴木組合長と同道して被控訴銀行本店に赴き、従前同銀行芝支店預金係長であつた山本三朗(当時同人が既に五反田支店に転出し芝支店預金係長の職を解かれていたことは後に認定するとおりである)に右小切手を交付し、後刻港区芝田村町の旭ホテルにおいて右中山が山本から金額三百万円預入記載の被控訴銀行芝支店発行名義の普通預金通帳一冊を受領したこと並びに右普通預金通帳の用紙は被控訴銀行使用のもので、これに押捺されている押切印、ゴム印が被控訴銀行のものであり、また中森、山本なる各捺印が被控訴銀行芝支店の預金係員中森敬子及び前記山本の使用していた印によるものであることはいずれも当事者間に争がない。右の争のない事実によれば、控訴組合を代理する鈴木明良(その使者中山橘二)と山本三朗との間に、それぞれ控訴組合及び被控訴銀行のためにする普通預金預入れ及び受入れに関する合意の成立したことを一応推測せしめるものの如くであり、また、(証拠)の内容には前示預金契約の成立した趣旨に解される部分があるけれども、これらは次に認定する前記預金通帳の作成及びその授受に至る経緯に徴すれば、いまだ預金契約の成立を認めるに十分でなく、他にこれを認めるに十分の証拠はない。

(二)  (証拠)を参酌して判断すれば次の事実が認められる。

(1)  訴外野長瀬七郎は昭和二十四年五、六月頃から中国代表団顧問王文成及び横山雄偉らの協力の下に台湾との貿易を目的とする東和通商株式会社を設立することを企て、その頃相知るに至つた被控訴銀行芝支店預金係長山本三朗に融資につき協力を求めた。山本は王及び横山からも事業計画の説明を受けて共鳴し、右事業に協力することとなつたが、山本は被控訴銀行からの貸付には預金者を斡旋し、その預金を担保に供することを条件とし野長瀬らはこれを充たすことができず、貸付を受けることは極めて困難であつた。しかし、野長瀬らは会社設立を急ぐ事情にあつたので、山本に対し説得を重ね、遂に預金の受入及び銀行からの貸付という方法をとらず、山本の一存で預金通帳だけを作成し、直接に野長瀬らにおいて融資者から融資を受ける方法をとることを承諾せしめ、野長瀬はいわゆる金融ブローカーである島名平兵衛に融資の斡旋を依頼し、昭和二十四年九月九日結局前記方法により営林局署共済組合本部出納主任であつた川端照千代から同組合の手持資金千二百万円の融通を受けることに成功し、これによつて同月十三日頃東和通商株式会社の設立を見るに至つた。

(2)  一方前記横山雄偉及びその秘書加賀谷富美は別に金融ブローカーの茂原一太郎に融資の斡旋を依頼したのであるが、当時茂原は鈴木明良から融資斡旋の謝礼の残金六十六万円の支払を強硬に請求されその調達に苦慮していたので、鈴木に再び斡旋を依頼し、横山から謝礼として金六十六万円を出させて鈴木との関係を解決しようと考え、被控訴銀行に預金する形式をとつて融資することを斡旋して貰いたい旨申入れた。鈴木明良は当時茨城県選出の代議士であつたが、金融の斡旋にも手を出しており、かねて知合である選挙区内の勝鹿村農業協同組合(原審共同原告)の組合長印出登一及び同人を通じ控訴組合の組合長鈴木橘治に対し組合資金を東京の一流銀行に預金するようすすめていたが、その応諾を得られないままであつた。かような時に茂原から前記の申入がなされたのであるが、鈴木明良は、前示金六十六万円を支払えばこれに応ずる旨答え、自ら鈴木橘治に面接して前示の預金を強く懇請した。鈴木橘治は右申入に応ずれば、通常の預金では得られない多額の金利を取得できるし、また後日国会に対する陳情等の際便宜をはかつて貰うのに都合がよいと考え、三百万円ぐらいならその申出に応ずる旨答えた。そこで鈴木明良はおよそ一カ月三分の利息で期間を六カ月とし茂原の申出に応ずることとし、茂原と連絡して融資の実現をはかることとなり、その秘書中山橘二に命じて具体的な交渉にあたらせた。

(3)  かくして茂原は横山及び野長瀬らとの間で、鈴木明良と取決めようとする一カ月三分の裏金利の支払その他の条件の打合せをし、中山は昭和二十四年九月初頃から同月十日頃までの間にわたり被控訴銀行芝支店附近の喫茶店木村屋において茂原から山本三朗を紹介され融資先から一カ月三分の裏金利の貰えることを確かめると共に預金者の名義を控訴組合とすることに打合わせ、更に中山は同月十五日頃茂原、横山と会合し山本もこれに出席し融資についての具体的な打合わせをし、なおその際横山から中山及び茂原に早急に融資を実現して貰いたい旨強く要望した。かようにして鈴木明良が斡旋する融資は控訴組合から金三百万円勝鹿村農業協同組合から金二百万円の合計五百万円、これを被控訴銀行芝支店に普通預金として預入れる形をとり、六カ月間横山、野長瀬らの事業のために融資すること、預金の形をととのえるため山本において被控訴銀行芝支店発行名義の普通預金通帳を作成すること、融資者から右融資期間に見合うよう六カ月間預金の引出をしない旨の念書を差入れ、裏金利は一カ月三分とし融資当日交付すること等が定められた。なお山本は昭和二十四年九月七日被控訴銀行五反田支店に転出(同月五日附で)を命ぜられ、芝支店預金係長の職を解かれていた。

(4)  かくして前記話合に基づき鈴木明良から控訴組合長(当時)鈴木橘治に対し金三百万円と組合の印を持つて昭和二十四年九月十九日上京するよう指示し、鈴木橘治は前述のとおり同日上京して鈴木明良方において組合の資金である埼玉銀行幸手支店振出、同銀行東京支店宛の金額三百万円の小切手一通と組合長印を同人に手交し、鈴木明良の命を受けた中山橘二は右小切手及び印章を携え鈴木組合長と同道して予め茂原から連絡のあつた被控訴銀行本店に赴いた。なお中山は鈴木明良から、預金通帳を受取る際には六カ月間預金の払戻を請求しない旨の念書を差入れること及び月三分の裏金利は二十九万七千円と二十四万三千円の二枚の小切手で受取るよう指示されていた。被控訴銀行本店において鈴木組合長は山本と面接せず中山一人が店内喫煙室で山本と会い右小切手を山本に示したが、同人から右小切手は直ちに現金化できないものだから裏金利相当の謝礼金はすぐには出せないといわれたので、中山は山本にこれを交付せず来合わせていた茂原の秘書と共に埼玉銀行東京支店に赴き現金化しようとしたが、それを果さず被控訴銀行本店に帰つて来た。そこで山本は融資を受ける東和通商株式会社振出の残高証明書付の小切手によつて裏金利を支払うことを提案し、中山の承諾を得て鈴木橘治持参の小切手を受取り、後刻旭ホテルで中山と会うことにして一旦別れ、鈴木組合長はそのまま鈴木明良宅に帰つた。山本は東和通商株式会社に連絡して鈴木橘治持参の前記小切手を同会社に渡し、中山の依頼どおり金額二十九万七千円及び二十四万三千円の二通の小切手を同会社代表取締役野長瀬七郎名義で振出さしめこれに東京銀行本店の残高証明書を付し旭ホテルに持参して中山に再会し、かねて被控訴銀行普通預金通帳用紙に同銀行押切印及び芝支店預金係員中森敬子の印を擅に押捺して準備してあつた普通預金通帳の預入金額欄に金三百万円と記入し、預金名義人を控訴組合として組合長鈴木橘治の氏名を記載し、前記東和通商株式会社振出の小切手二通と共に中山に交付し、これと引換に中山に作成せしめた六カ月間右預金の引出をしない旨の念書を受領した。中山は右預金通帳及び小切手二通を鈴木明良方に持帰り、鈴木明良を通じて右預金通帳を鈴木橘治に交付し、鈴木明良は前記東和通商株式会社振出の金額二十九万七千円の小切手を取得すると共に、金額二十四万三千円の小切手を現金化して後日内金二十万円を鈴木橘治に裏金利相当の謝礼金として届けた。以上の経緯によつて本件の三百万円については、被控訴銀行の普通預金台帳に預入の記入がなされない儘、その日のうちに右金額三百万円の小切手は山本の手を経て東和通商株式会社の手に渡り同会社の取引銀行の口座に振込まれたものである。

(5)  なお前記勝鹿村農業協同組合関係の金二百万円の融資も翌二十日に実行され、鈴木明良は控訴組合関係で金五十四万円、勝鹿村農業協同組合関係で金三十六万円、合計金九十万円の裏金利に相当する謝礼金を受領し、その一部を各組合に分与したのであるが、その後程なく関西方面でいわゆる浮貸事件が問題となつたことを知り、本件についても刑事上あるいは民事上の責任を問われることをおそれ、控訴組合らに確実に返金されるよう措置を講ずることによつて責任を免かれようと考え、中山に命じ控訴組合らが金を必要とするに至つたという理由で山本を通じ融資金回収の交渉を始めた。山本は当初の約に反するとしてこれを拒んだが、結局鈴木明良及び中山に協力して本件の問題化を防ぐほかないと考え、取敢えず一時を糊塗するため中山の請を容れて、本件の金員は被控訴銀行芝支店において預金として預かつたもので六カ月後の昭和二十五年三月十八日には必ず支払する旨の念書を、次いで被控訴銀行芝支店長鈴木達夫名義の同様の念書をそれぞれ中山に交付し、中山と協力して東和通商株式会社関係者に返金させるよう奔走中、山本は営林局署共済組合関係の事件のため逮捕されそれを果さなかつた。中山は更に横山、野長瀬らに対する交渉を続け、昭和二十四年十月十四日付で東和通商株式会社の代表者野長瀬七郎の中山あて振出した金額四百四十一万五千円(勝鹿村農業協同組合関係の分を含めた金額)の約束手形一通及び右金額を同年十一月十九日までに分割支払う旨の同会社の念書を受領したのであるが、その支払がなく結局融資金の回収はできないままとなり、同年十二月三日頃控訴組合の代理人から被控訴銀行に預金払戻の請求がなされ、被控訴銀行がこれに応じなかつたので本件紛争を見るに至つた。

以上の事実が認められ、(省略)他にこれを左右するに足る証拠はない。

(三)  以上判示したところに基づき、まず控訴人の預金契約に基づく請求につき審究するに、前認定の事実によれば、控訴組合の当時の代表者鈴木橘治は被控訴銀行の山本三朗との間で直接の折衝をしたことはなく、すべて鈴木明良及びその意を受けた中山橘二にこれを委ねていたことが明らかであるから、鈴木橘治と山本との間において本件預金契約につき直接に合意の成立したことは認められず、右鈴木明良が鈴木橘治の委任の下に控訴組合の代理人として、あるいは中山が鈴木明良の使者として被控訴銀行を代理する山本との間において預金契約を結んだかどうかが問題となるわけである。よつてまずこの点につき検討する。

前認定の事実によれば、本件の融資は普通預金の形式を作るため預金通帳が授受されたけれども、実際には預金として取扱われるのではなく、そのまま他に融資されるものであつたことを鈴木明良は知つていたと認めるのが相当である。控訴人は、鈴木橘治においてはもとより、鈴木明良も真実預金契約が成立したものと考えていた旨主張し、これにそう証人鈴木明良らの供述及び同人らの供述記載の存することは既に述べたとおりである。しかし前認定の事実によれば、本件預金通帳の授受はもともと東和通商株式会社のための融資を実現する手段としてなされたもので、右の融資については、控訴組合側においてはその斡旋にあたつた鈴木明良が主導的地位にあり自ら(あるいは中山橘二に命じ)、融資を求める側に立つて斡旋にあたつた茂原一太郎を介し野長瀬、横山らと折衝し融資実現の具体的方法を決定したと認められるところ、その間の話合に関する控訴組合代表者鈴木橘治を始め各関係者の供述にはそれぞれ責任回避の意図から出たものではないかと疑われる節が窺われその儘措信し難い所が多く、その詳細については明らかでないところがあることは否定できないけれども、前認定の裏金利の授受及び預金通帳授受の前後における鈴木明良、鈴木橘治、中山橘二の行動に徴すれば、通常の預金と著しく異る経過をとつていることが明らかであり、同人らが正常の預金をなすものでないことを知つていたことは否定できないものという外ない。(省略)もつとも当時行われていた融資を目的とするいわゆる正常でない預金といつても必ずしも一様ではなく、預金者において当該預金債権を担保に供する等により金融機関に損害を与えるおそれのない方法の講じられる場合には、金融機関において預金として受入れた上預金者もしくは斡旋者の希む第三者に貸付ける方法をとり、この場合にもいわゆる裏金利の授受されることもないわけでなかつたことは原審証人戸谷梅彦の証言からも窺い知ることができるのであるから、前判示の点から直ちに本件において預金契約は成立しなかつたものと速断することはできない。しかし前記(二)冒頭記載の各書証中山本三朗の供述記載及び証人山本三朗の証言によれば、右山本は本件融資に協力を求められた当初から前判示のような預金受入れ及び貸付の条件の具備しない以上正規の預金受入れ及び貸付の方法をとることはできないことを明らかにし、終始この態度を変えなかつたことが認められ、鈴木明良が前認定の経過においてこの間の事情を知り得なかつたとは考え難く、かような点を考慮し、前示裏金利の授受その他預金通帳授受に至るまでの経過並びに事後における返金を求める交渉の経緯に徴すれば、少なくとも鈴木明良は正常の預金の受入れ及び被控訴銀行からの貸付による方法をとるものでなく、単に預金の形式をととのえるために通帳が発行されるだけで直接に融資に廻されるものであることを容認し、ただ預金通帳の発行があれば組合の会計の監査においても説明がつきこの点からとがめられることは避けられ、期限に確実に返済せしめるようにさせれば結局正常の預金と異なることなく処理できるのであるし、万一の場合被控訴銀行に請求しようとする際有利な立場に立ち得るものと考え、本件において預金通帳の交付により預金の形式をとるにすぎないと知つてなおかつこの方法によることを辞さなかつたもので、真実預金契約をする趣旨ではなかつたものと認められる。

一方山本においても、もとより本件の金員を預金として受領する意思は少しもなかつたことは前判示により明らかであるから、結局鈴木明良が直接もしくはその使者中山橘二を介して、山本との間に真実預金を成立せしめる合意をしたことはなく控訴人主張の預金契約はその効力を生じなかつたものというべきである。

なお山本と控訴組合代表者鈴木橘治との間において直接に合意の成立したものと認められないことは既に述べたとおりであり、また前判示の事実関係によれば、山本において鈴木明良を介し控訴組合代表者鈴木橘治に対し預金受入の意思表示をしたものと認め、民法第九十三条本文の規定により預金契約が効力を生じたと解することも困難である。

よつて山本が当時被控訴銀行を代理する権限があつたかどうか及び控訴人主張の表見代理の成否を問題にするまでもなく、預金契約を前提とする控訴人の請求は排斥を免かれない。

(四)  次に控訴人の「不法行為に基く請求」につき、判断する。

控訴人はまず被控訴銀行の被用者山本において架空の預金通帳により鈴木明良又はその使者である中山を欺罔し、控訴組合の小切手を編取した旨主張するけれども、鈴木明良において当時本件金三百万円が預金として受入れられるものでないことを知つていたことは既に述べたとおりであるから、山本の行為が鈴木明良ないしその使者中山に対する詐欺とならないことは明らかで、右控訴人の主張は採用できない。

次に控訴人は、山本において鈴木明良及び中山と共謀して控訴組合の代表者鈴木橘治を欺罔し、控訴組合から小切手を編取した旨主張する。

前認定の事実によれば、本件は東和通商株式会社の設立費用並びに運転資金の融通を受ける目的に出たもので、東和通商側の野長瀬及び横山が茂原を介して鈴木明良と折衝して具体的な方法を取決めたものであり、野長瀬及び横山からその実行につき山本に協力を求めたのであるが、山本は当初から預金担保等の条件の充たされない限り被控訴銀行による預金の受入れ及び貸付の方法をとり得ないことを明らかにしていたもので、これを前提として融資当事者間の話合に従い求められるままに預金通帳の作成にあたつたものであり、一面において融資を求める野長瀬横山らに引込まれ、他面この間にあつて利得を図つた茂原及び鈴木明良に利用され、これらの者の定めた所を実現するために利用されたものに外ならず、さきに認定した預金通帳交付に至るまでの全経過に徴するに、山本において鈴木明良もしくは中山橘二と共謀して鈴木橘治を欺罔したことを疑わせるような事情を発見できないし、本件全証拠によるもこれを認めるに十分な証拠はない。もつとも昭和二十四年九月十九日鈴木橘治が中山と同道して被控訴銀行本店に赴きながら、そこで山本と面談することのなかつたことは前判示のとおりであるが、(証拠)によれば、その際山本において鈴木橘治の待つている所に挨拶に赴こうとしたけれども、中山に手続が終つてからでよいといわれ、裏金利交付のため小切手の現金化に奔走するうち、鈴木橘治が帰宅したのでその儘となつたことが認められ、山本において殊更にこれを避けたものでないことが明らかである。

のみならず、前記山本三朗の供述記載及び証人山本三朗の証言によれば、右山本は前示のように自己が終始預金担保等の条件の充たされない限り被控訴銀行による預金の受入れ及び貸付の方法をとり得ないことを表明していたので、これを前提として融資当事者間に話合がなされるものと期待していたものであり、控訴組合長鈴木橘治において裏金利の取得を意図しているものと考えられたことその他交渉の全経過からして、右組合長も本件金員が融資先からの返金のない場合でもなお全面的に被控訴銀行に対し預金契約上の責任を問い得る如きものではないことを承知の上で敢えて裏金利を取得するため融資に応じたものと判断していたことが窺い知られるのであつて、結局山本において鈴木明良及び中山と共謀してもしくは単独で鈴木橘治を欺罔する意思があつたことは認められない。

なお、(証拠)によれば、中山橘二、山本三朗らに対する刑事事件の判決において、上来認定と異る判断がなされていることが認められるけれども、本件に顕われた証拠によれば、当裁判所は右と同一の見解を採るを得ない。

よつて上記山本三朗の詐欺を前提とする控訴人の請求は肯認できない。

(五)  なお控訴人は山本において上来認定の預金通帳を作成交付するにあたり、これを鈴木明良らの控訴組合に対する欺罔行為に利用され同組合に損害を与えるべきことを予見すべきであつたに拘らず漫然これをなしたとして山本の過失による不法行為をも主張する趣旨と解されないではない。

しかし、(証拠)を綜合すれば、訴外山本三朗は被控訴銀行支店において支店長の命を受け預貯金及びこれに附帯する事務等を担当していたが昭和二十四年九月五日付をもつて同銀行五反田支店の庶務、金庫、計算係長に転出を命ぜられ、同月七日正規の手続によりこれが告知を受けて同日限り芝支店預金係長の職を解かれ、残務整理として同月十日の普通預金の決算を済ませ、それ以後は取引先などへの挨拶廻りをしていたが、もはや前預金係長として事実上なすべき事務もなかつたことを認めることができる。

一方本件預金通帳の作成交付等に至る経過は既に前示(二)の(3)において触れたところであるが、右の事実認定に供した各証拠を綜合すれば、(イ)昭和二十四年八月末もしくは同年九月初頃中山橘二は鈴木明良から本件融資を仲介する茂原一太郎のいうように融資先から月三分の裏金利が出るかどうかを確かめるよう命ぜられ、茂原と同道して被控訴銀行芝支店附近の喫茶店木村屋に赴き同所で山本三朗に紹介され、山本は茂原及び東和通商側の横山雄偉、野長瀬七郎らに指示されていたとおり茂原の問に答えてこれを肯定する応答をしたので、中山はこれを鈴木明良に報告したこと、(ロ)さらに中山は鈴木明良の命を受けて同月十日頃山本との間で預金者名義を個人でなく組合名義にすることを打合わせ、次いで同月十四、五日頃には右鈴木明良が融資の斡斡をする条件となつていた前判示(二)の(2)記載の金六十六万円を横山雄偉において調達して茂原から鈴木明良に支払つたので、横山及び茂原は中山を通じ鈴木明良に強く融資の促進方を要求するに至り、鈴本明良において控訴組合長当時鈴木橘治を説いてこれを承諾せしめ、かくして同月十九日前判示のように鈴本橘治から金額三百万円の小切手を鈴木明良に交付し、前判示の経過により山本が預金通帳を作成交付したことが認められる。

右によれば鈴木明良において中山をして本件融資斡旋に関する茂原の申出の真偽を確かめたのは山本の芝支店預金係長在任中であつたと推認されないではないが、これに基いて鈴木明良が融資の斡旋を進めることとして具体的な打合わせが進められその実行に及んだ前記(ロ)判示の経過はすべて山本が右の職を解かれた後であることが明らかである。また、本件における控訴組合長鈴木橘治持参の小切手及び預金通帳の授受は既に(二)の(4)で判示したような経過を辿つているのであつて、右は被控訴銀行芝支店の預金業務とは外形上も著しく異るものであることが知られる。このことは当時高額の預金につき銀行員が預金者の所に出向いて預金を受入れることが行われていたにしても、なお本件において考慮しなければならないところと考えられる。

以上の点から考えると本件における山本の預金通帳作成交付等の行為をもつて、同人が当時被控訴銀行において担当していた職務の執行につきなされたものとは認め難いといわなければならない。

なお、右山本の右預金通帳作成の行為が芝支店備付の通帳用紙を使用しこれに同支店長保管の押切印及び預金係員中森の認印を盗用してなされたものであることは既に判示したところから窺い知られるところであるが、これが山本が元被控訴銀行芝支店預金係長であつたことと関係なしとし得ないとしても、そのことから前記の判断を覆えすべきものとも断じ難い。また当時控訴組合長鈴木橘治又は鈴木明良もしくは中山橘二において山本が右預金係長の職にあるものと考えていたとしても、民法第七百十五条の規定は他人を使用して自己の活動範囲を拡大する者に対し、その被用者の加害行為についても責任を負わしめようとする趣旨のもので、取引の安全を保護しようとするものでないから、同条の規定による責任の有無を決するにつき表見代理の法理がその儘適用さるべきものとも解し難く、上記の点から被控訴銀行の責任を肯定すべきものともなし難い。

従つていずれにしても控訴人の民法第七百十五条に基く損害賠償の請求は認容できない。

(六)  よつて更に判断を進めるまでもなく控訴人の請求は以上の点においてすべて失当として棄却を免れず、右と同趣旨の原判決は至当であるから、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条の各規定に則り主文のとおり判決した。

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